小学生の頃、コーヒー独特の香ばしい匂いに誘われた。
母は毎週のように同じマンションの友人とお茶会。大人はもちろんホットコーヒーを飲み、子どもたちにはオレンジジュース、ミルクティー、サイダーが必ず用意されていた。
「オレンジジュースやサイダーより美味しい飲み物。そこまで飲みたいと思うコーヒーは、さぞ美味しいんだろう」と思った私。子どもたち用の飲み物を横目に、私はコーヒーを飲みたいという気持ちが沸々と湧き上がっていた。
あと飲みたい理由がもう一つ、「大人になりたかった」である。
そして小学生の頃、母の真似をして、はじめてコーヒーを飲んだ。
いまだに何を飲んだか覚えている。パッケージで美味しそうに見えた「ブレンディ」の牛乳で割ればすぐできるカフェラテ。
でも、実際飲んでみたら想像していた味とはまったく違う。今飲んだら美味しいんだけど、小学生の私にはまだ早かった。
ただただ、苦い。
粉砂糖を何本も追加しても、あの独特の苦さは消えなくて、結局母に飲んでもらった。あんなにいい香りなのに飲めないなんて、かなりのショックだった。
一方母は「こんなの甘くて飲めないよ」と言っていた。あんなに苦いのに甘いなんて……母は何を言ってるんだと思っていた。
そして月日は流れ、私もコーヒーが飲めるようになった。飲めない記憶は残っているのに、飲めるようになった日は覚えていない。
カフェラテを一口しか飲めなかった私が大学生になった途端、ブラックコーヒーを飲んでいた。「甘いチョコレートに、このブラックコーヒーがたまんねえんだよなあ」なんて脳内の自分に語りかけるほど、私はコーヒーの苦味にはまっていったのである。
よく大人になると味覚が鈍くなって、子供の頃に苦手だった飲みものや食べものが好きになるというのをよく聞く。
コーヒーが飲めるようになったということは、大人になって美味しさを認識できるようになったのか、ただ味覚が鈍っただけなのか。鈍ったと思うと、少し寂しい…けど、コーヒーを飲めるようになった大人のほうが確実に楽しい。
コーヒーが飲めるようになったことは、ずっと大人になりたかった私が、本当に大人になった証拠。